「DV彼氏と同棲していた」と友人には伝えていたけれど、自分にも非があるという気持ちは今もある件について当時のことを振り返りながら考えてみる

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6年前、18歳の6月ごろから一年ほど、同棲をしていました。
(一人暮らしを始めて2ヶ月で、というのがなんとも自分のクソ性格)

最終的にはほんの少しだけ警察が顔を出すことがあり、僕もまた警察に相談することで、19歳から静かな時間を過ごすことになりました。

大学時代の友人は1年間 僕の様子を見てきたこともあり、最終的に昼逃げをする際、協力をしてくれ、また他にも家族含めいろいろな人から協力をしてもらって今でも感謝がけっこうまじめに本当にいっぱいです。

「親のお金で借りている自分の部屋から相手を残し出ていく」という今考えてもそこだけは面白い構図になっているけど、当時は必死だったんです。懐かしい。

その辺のお話。

普段は「DVのころ」と名付けて説明していないけど、僕も対抗したことはあった

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18歳の頃の部屋の様子。1K 18平方mくらいだったかな?

ちなみに現在は、
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こんな感じです。6年で人は変われる! とちょっと自信が持てるくらい比べるときれいだねさすがに…

そもそも同棲なんてぐだぐだしてりゃいいのに、なぜ命の危険が始まったのか。

そもそもは僕のうつをぶつけすぎたのがいけないのではないか?

会って、知り合ってすぐ相手が僕の家に転がり込むように住み始めました。
(この辺は僕が抵抗全くなくて、「全然いいよ本当に来ちゃいなよ」とか言ってたし、相手からの「好き」宣言にメンヘラまっしぐらでしたね。今も僕の感覚はちょっと狂っているから気をつけている)

メンヘラ×メンヘラという誰も得しないどころか、周囲も巻き込むカップリングが始まった。まさにネットの闇。

同棲が始まった1週間ぐらいは楽しかった。
相手がPSPでテイルズシリーズをプレイしてるのを横から覗いて一日過ごすだけという不毛な時間が一番楽しかった。

さて、僕は当初「好きなら~してよ」キャラでした。(これは22歳まで続く)
これがメンヘラで、しかも僕は「自傷行為をすることで自分が救われるなら意地でも自傷をしないことで自分を苦しめよう」というひねくれ具合だったもんで、一度たがが外れると本当に飛び降り未遂していたりしました。あぁ恥ずかしい(棒)。

そこで彼の名言「俺はそういううつとかには厳しいからね」

僕「うん、いいよ、わかった。その辺のと同じだと思って本当に飛び降りられてから後悔すればいい」
(今思うと我ながら、恐ろしいな!)

どっちもどっちだとも思いつつも、相容れない価値観を真っ向バトルさせたのもこの時期が最初で最後だったかも。
いかに、18歳までに人間関係が充実されるべきかわかる。教育がんば。

とか言って相手が偽名だというのも発覚

住民届とかも相手は出していたのに、しばらく気が付かない俺もやばいが!

相手が偽名だったことがわかっても僕は当時全然気にしてませんでしたが、そんなんで対等に人間関係を築けないよな、と思う。
僕も僕で相手をコントロールしたがって、相手も相手で僕をコントロールしたがったのだと思う。

そんなコントロールバトルの日々

今でこそ人を思うように動かそうとするよりも人の動きに寄り添う方が何倍も楽しいと思っていますが、メンヘラ×メンヘラですからね。
相手にもまぁ色々な症状や行動はあったのです。

僕はぶっちゃけそれらは割と当時も今も気にしていないのですが、僕のゲームを勝手に売られた事と蹴られた事や包丁で脅された事や首を絞められた事などの2次災害(^O^)がつらかった。
そういうのは疲弊していたかも。

ですが、多分同様に相手も僕に苦しんでいたと思います。
特に相手からも言われたのですが、僕が全てを突き付ける物の言い方で精神的暴力をふるっているということでした。
「~なのをわかっているのになんで~しないの?」とか「自分の過去のせいにして、行動しないのの理由にどうしてそれがなっていると思い込んでいられるのかを訊いてるんだけど、答えられないのはわかってるけど訊いてごめん」とかそういうことを言っていた気がする自分。
(僕も相手から芸大なのに三流、三流と言われ続けていたのを思い出して悲しくなってきた(^O^) 事実ってきついね!)

あと、DVというと一方的なものが一般的ですが、あんまり男女差を普段は死ぬほど意識しない僕でも男同士っていうのはあるのか?と思うこの件。
蹴られた時に僕が蹴り返すこともありました。

まぁ、でも包丁には勝てない。

(高校の担任の先生が、「車とは勝負するな」と冗談で言っていたことが思い出される)

あとは貧乏だった

僕が一日アルフォート(100円)しか食べない日々がありました。

なぜかよくわからないのですが、僕は当時もらっていた奨学金50,000円/月のうち、30,000円を毎月相手におさめていました。
まぁ、相手半年くらい無職だったし…

大学に通ってるのに、一人だけアルフォートしか食ってないもんだから、みんなに食べ物恵んでもらっていた。
そして一日のうちに分けて食べられるアルフォートにはめっちゃ感謝している。

まぁ、週に何回か相手が30,000円からそこから膨大な量の(ごめん、おいしくなかった)料理をつくってもくれたのですが…
この辺はうーん、相手の症状などの兼ね合いもあったからな、とか思っちゃうんですが。

僕が自傷とか未遂とか精神的暴力でエネルギーを閉じ込めていくタイプだったのに対して、相手はアルコールや多食やたばこや豪遊とかでエネルギーを出していくタイプでした。

あんんんんんんんんまりにもおなかが空いていたので、僕もアルバイトを始めたり体を売るまがいのことをしたりしていました。
しかもそれでPS3買ったからね。僕のゲーマーっぷり。

すでにわかる通り、恋愛関係でもなんでもなかった

病的な共依存というのはやっぱり、こうしてエピソードとして振り返るとちょっと病的ですよね。

最終的には当時まだ解消しきれていなかった僕の命題「自分の感情さえなくなればいい」への実践の集大成でした。

相手も働いたりやめたりと、浮き沈みはあり、風邪を毎月引く僕の看病をつきっきりでしてくれたり、(僕が性病になった時の対応考えると別に愛されてなかったな、とも振り返るけど(いやそもそもお互いに非はあったのだ))
それでも1年経ち、日々のケンカが激化していったんですよね。というかそれはもう多分ケンカではない。

近隣からのクレームは親のもとまで行っていたので(当時親には同棲はもちろん言えるはずがなかった)、そろそろ全部が限界に来ているなと感じていました。
周りの人も巻き込み過ぎていたので、あーこれは死ぬんだな、と漠然と思っていました。

死んでしまうのもまた一つかな、とか考えていたんですが、
いや、自分が生きることだけ考えようと思い直しました。

だって最初は、ただ屈託なく楽しく暮らしたかっただけだったんですから。

とにかく避難するしかないと思い、昼逃げにいたる

相手はそのとき働いていたので(なんでますますお金を僕は渡していたんだ?)、昼間は家にいませんでした。

それで決行する日を決めて友人たちに協力してもらいました。

もう一度部屋の写真。

この部屋を6時間でもぬけのからにしたのはがんばった。

ガラスの破片とかね、危ないから土足で安全第一かつスピーディにわっせわっせと車に運んでは、大学で下ろして、の繰り返しを4回ほど。
炊飯器の中が黒かったこととか友人につっこまれた。

多くのものはそもそも捨てて、他の電子レンジとか冷蔵庫とかは大学の研究室とかに寄付したり学園祭で使ったり、なんかめちゃくちゃだったな今思っても。

洗濯機とフライパンと鍋と引出しは今もまだ使ってます。

家族の協力

とにかく生きることだけを考えた結果、親に全ての事情を話す以外にはないということで、そのあと警察とか部屋の解約のこととかいろいろな件で多大な迷惑というか、もう筆舌につくしがたい。

相手から実家に電話がかかってきたりね、なんで実家の番号知ってんだよ、と思いましたが。

それでも僕は相手を見捨てた、裏切ったのではないかと思う気持ちはある

まぁ多分相手からすれば、僕なんかクソったれのけちょんけちょんの悪夢のようなものだというのもなんとなく思う…

僕は本当に相手と向き合っていたのだろうか、とか
僕はわかり合うことを諦めたんじゃないか、とか

こういう気持ちが病的なものなのか、そうでないのかというのはわかりません。
それに、こういう気持ちだけではないから昼逃げに辿り着いたというも事実です。

とはいえ、お互い無縁になり生を送っているようなのでこの件自体の善悪を僕はもう判断することはないなぁ、と近頃は思っています。

東京を離れて少しだけホッとしている自分もいます。新宿は福岡にはないからね。

僕は「加害者」とされる人を一方的に責めることができなくなった

人によっては忌み嫌う能力かも。

でもまぁ、きっといろいろな人間がいてもいいと言われるのなら、この能力も存在ぐらい許されるかな。

そんなかるべの話でした。

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