最近、このブログに伴ってFacebookやTwitterなどを再開して、1カ月。
もう一度「自分のイメージ」についてよく考えるようになりました。
僕も以前、21歳くらいまでは人並みにSNSを使っては、人の倍はSNS疲れをしては自己主張を激しくしてみたり、と色々と疲弊をしていました。
ところで、僕が何を思うのか、それは人と関わっていかないと見えない、というのも最近思うことです。
幼い頃から極度に「人からどう見られているか」を気にしていたこともあり、最近の僕の行動についても必然とそのことはついてきて、「自分のイメージ」についてとても考えさせられます。
「自分のイメージ」を戦略的につくりあげていくことのバカさ加減とメリット
はっきり言うと、僕はこういう文章を書くことが好きではありません。
「人にわかりやすく語る」人の胡散臭さたるや。
参考記事:自分の書き言葉と話し言葉があまりに違うので比べてみた。
それでもこういうことをするのは
・社会的な能力を身につける為
・小遣い程度とは言え広告収入を得る上でのマナーとして
・僕の考えていることをそもそもわかりやすく言えるのかの実践
この辺が理由として挙げられます。
「自分のイメージ」をつくるのは自信の無さが原因
自信の無い人は、人からこう見られたいという思いが強くなります。
これは、「私も自分に自信なんてありませんよ~」という「自信」とは異なります。
もっと根本的な生きる気力のようなものだと僕は思っています。
根本的な生きる気力が自ら湧き出ないから、他人がつくりあげる「自分のイメージ」に縋りつく。
だからその「自分のイメージ」が少しでもよいように振る舞う。
よい、と言ってもこれは別に清純とか綺麗売りとかじゃなく、とっつきやすさのようなものだと思います。
そんで、僕はそれが死ぬほど得意です。
でも何も本質的な芸の一つも技術の一つも無いからそれが暴かれない様に取り繕います。
「自分のイメージ」をつくるのを半分やめて半分つづけている
こういう文章を書いていると、とっつきにくい印象を与えます。
そりゃそうだ。ですます調だし、得意げに語ってやがるし、大した内容もないからだ。
かるべはとっつきにくい人、という印象が形成されます。
これは今まで「よい自分のイメージ」構築にあくせくしていた僕がすると、なんか今までと印象が違う、ということになります。
それでも僕は僕の考えていることを何かしか伝わる形で外へ足を踏み出さないとQOLが低下するような強迫観念を持っていたし、
むしろこう書くことで逆に伝わらない、という現象も起きてきているので…
僕が言っていることは、何か的を得ていないかのようですが、
フィードバックの発生しない関係が敷居と「戦略」をつくる
そう、僕が最近感じていたことは、僕と僕じゃない人間の間にフィードバックが発生していないことです。
いや、0ではないと思います。
問題としているのは、当初フィードバックが発生していた関係のなかにそうでなくなってきているものがある、ということです。
僕が人に影響を与えないことは、別にもちろん昔からそうなんだけど、
僕が人から影響を受けていないこと、に問題がある。
人から影響を受けなさそうな人はたいそう魅力がありません。
「自分のイメージ」が僕をつくるのか、それを再考すべき
最近の一連の流れで形成された「自分のイメージ」がはたして僕とイコールの関係なのか、そのことを考えます。
たぶん、これはパブリックな立場を表に持つ人程、いや違うだろう、と考えると思います。
イメージ戦略でパブリックを大抵の人は立ち回るので、その指摘は概ね正しい。
少し複雑なんですが、
・今までつくってきた「自分のイメージ」はおおよそまんま僕
・最近つくってる「自分のイメージ」もおおよそまんま僕
・二つが乖離しているとしたらその幅もおおよそまんま僕
です。
“小難しいことを考えてはひけらかしてうざい面倒くさいかるべ”も
“人懐っこくて、距離感の近い優しいゆっくりとしたかるべ”も
なんであろうと、僕だと思うわけです。
でも、本当は僕のもやもやとつきつけが見えてきていて、それをここでは僕は言ってしまう。
ひどくシンプルに、多くの人は人の見たい一面しか見ないということです。
今そのことが寂しい。そして半分は、僕が憎い。
予防線
僕は、「より一層面倒な人間として見えるようになるだろう」と言っていました。
予防線は、ドアに挟んだ紙。僕の冷静な気持ちの準備をしてくれた。
これからのこと
また僕は、その存在でさもつきつけるようなことがあるのかもしれないな、と思いつつ
僕に対して「いやでもちゃんとしたいことしててすごいじゃん」なんて言葉が降らない様に願っています。
僕が僕のしたいことをしていることはむしろある程度哀れなことで、
やるからにはやりきるしかない、ってだけの話なんだ。
イメージ戦略はつづく
でも一面で見せたら、一面で見ないで、なんて文句も言えないのです。
だから僕はただ、僕で、もう少しのテンポとリズムで整っていくと思う。
僕が、意図していたりしていなかったりで、どう見えてもそれも含めて僕だと思うのは、なかなか貴重な考え方らしい。
僕はいろいろなものから構成されているから、大丈夫 今は健康を保ちながらちゃんと君の影響も受けている。
まだ、少しだけバランスが取れずに、色々な話ができずにいる、
まるで知りあった頃に話題を探っているかのような、そんな状態に、初心に立ち戻ったようになっていることだけを、どうか。
打ち解けるのは、遠くないと思う。
壮大なエアリプ。
そんなかるべの話でした。