自分の書き言葉と話し言葉があまりに違うので比べてみた。

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自分の書き言葉と話し言葉のテイストが違うのは自覚していたのですが、あんまりにも違うことを少しでも説明しておこうと思い立ったので、今日書いていたものを少し載せようと思いました。

正直、以下の文章は世間から求められてはいないと強く感じてしまって、そこから自分の存在嫌悪まで僕は行ってしまうのですが、いろいろなことを浮き彫りにしていくことが一つの遺産になると信じて、みます。

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書き言葉、テキスト。遠くに見える。

 遠くに見えるフォルクスワーゲンと今日の夕暮れについての油を大さじで2杯。十分に温まった2012年の春に敷いたら、夜風が通るのを待って、身体と精神のレバーをしっかりと焼いていきます。身体の方から3分少し焦げ目が付いてきたら裏返して、同じように精神も焦げ目ができるように2分ほど、8分咲きで焼いたら、忘れかけた昨日のニュース程度の意識と洗濯乾燥機の音量を少し下げて、遺言を加えます。遺言には、甘口と辛口があるのですが、季節柄、新鮮で少し甘いものを使用しましょう。そして10分炒めたものがこちらです。これに少し日本酒を足すと、深みが出てきますので、少々加えます。そしたら思い出が優しく包み込んでくるので、これを取り出します。これを取り出すことで、身体と精神が必要以上に硬くなることがなくなるので、一手間を惜しまないようにしましょう。夏の香りが感じられたら、蓋をして少し蒸らします。その間に、サラウンドシステムと新三大文明の利器をトッピングした未来のサラダをつくります。未来には人によって夢があるかないか分かれるので、そこはお好みで加えてください。時代を超えて愛されるキューピーマヨネーズはこれにも合うので、ぜひ使ってみてください。そうこうしている間に、身体と精神の遺言書がちょうどいい具合になっています。一読してみて、透明な液体が出てくるようであれば、これを人間の証明として盛り付けていきます。ここで、今日のポイントです。なるべく浅い思想に盛り付けた方が見栄えが良いので、深いものよりも無地の白い浅い思想によそうのがポイントです。そして最後に、蝉しぐれをかけたら完成です。完成、身体と精神の遺言書の蝉しぐれ、未来のマヨネーズ添え。所要時間は約20分。さて、お味はいかがでしょうか? テキストでも過去を確認することができます。詳しくはお近くの書店、またはホームページをご覧ください。それではまた来週。

話し言葉の目安に、自問自答してみた。非日常についての連想。

ア:非日常っていうのはもうその言葉の通り非日常なんだと思ったよ。
イ:どゆこと?
ア:だってさ、普通に生きてたら誰かと触れ合うことも何か特別な言葉を言い合うこともないもん。
イ:どゆこと?
ア:なんかさ、非日常とか言われる時って大抵人と人が触れ合うのを見たり、そういうパフォーマンスをみたり、五感が刺激されるとか、普段使ってない頭が使われるとかさ、そういうことよく言ってない?
イ:うーん、まぁなんか言わんとすることはわかるけど、
ア:うん。でもなんかこれって結局自分の日常が人にとって非日常だったら、自分が非日常だと思ってつくるものなんて人にとっての日常だから結局なんかどうでもよかったり、別にその大切さとかに気づかされることもなかったり、むしろくどく感じさせたりするんだと思ったの。
イ:いやでもそんな言うほどそっちの日常も大概普通でしょ?
ア:そうなんだよなぁ。きっとそうなんだよ。でももうなんか日常をお互いに一般公開し合わないとなんかもう確認ができない。
イ:えー、そこは考えてわかるでしょ?
ア:うーん、どうなんだろ? でも俺一回も演劇に非日常とか、ってかディズニーでもなんでも、非日常とか思って行こうと思ったことすらないよ。
イ:うーん
ア:普通、みんな日常と非日常みたいな括りがあるんじゃないの? ってかなんかてっきりそう思ってたんだけど。
イ:いや、言う程ないよ。よほどなら別だけど。
ア:え、そしたら非日常感って言葉でとやかく言われてることに俺が翻弄されてたってことになるじゃん。
イ:え、でもそういうとこはあると思うよ。
ア:まじかー。
イ:とりあえず非日常って言っておけば許されるみたいな感じはある。
ア:え、じゃあ本当に俺真に受けてただけじゃん。
イ:じゃなきゃ、非日常ならなんでも面白いみたいになっちゃうけど、そうじゃないじゃん。
ア:うーん、そっかー…。
イ:やっぱ、こういうカフェに来て楽しいって思うのと、アートナイト行ってダムタイプ面白いって思うのと、ディズニーとかでわーい、みたいなのが全部同じ非日常感とかって言うのはおかしい。
ア:えー、じゃあ別に非日常感を演出しようと思わなくてよかったってことじゃん。
イ:うん、そんな必要以上に考えなくていいと思う。
ア:えー、そしたらやっぱりもう自分に才能ないし。
イ:え、そうなの? 飛びすぎじゃない?
ア:だって、結局思ったことやろうと思ったって自分はやりたいけど、結局需要とかないし。
イ:そこは、なんか調節できるでしょ。ってか何やりたいのかわからないけど。
ア:うーん、やりたいっていうか、別にそもそも芸術がみたいな話にもなるからいやなんだよね。
イ:まぁわかるけど、そこは信じようよ。
ア:いや信じてるけどさ。
イ:じゃあいいじゃん。
ア:でも不安なのー
イ:わがままww
ア:だって、面白くないもん俺がやりたいことって。みんな別に世界の真実とか見たくないし。
イ:もー。
ア:いや、いいんだけどさ、それでも別にやりたいなぁってずっと思ってうじうじするのが俺だし。
イ:なんかやってみればいいじゃん。
ア:出た。一人でやれると思ってる人の発言だよ。
イ:じゃあ一人じゃなくてもいいじゃん。
ア:そんな人望ないし。
イ:えー
ア:ってか一緒にやれる人いたらやってるし。
イ:うーん
ア:いや、別に本当に諦めきれてるわけじゃないけどさ。誰かいたらいいなぁ、くらいには探してるけど。
イ:でもそれじゃあずっと見つからないでしょ?
ア:だから、こういうことを取り組み始めてみたんだよね。
イ:いいじゃん。
ア:でも望み薄。
イ:そうなの?
ア:いや、なんかわかんないけどさ、続けていくしかもう人生にそもそも目標もないし。ある意味必死だけど。言葉になんないと伝わんないから、そもそも一緒にやる人を見つけること自体がすでに作品がお客さんに届く並のハードルじゃん。別に作品自体を人目に触れさせることは誰でもできると思うんだけど、それが実際に届くかどうかってのがすごい難しいわけじゃん。ただでさえ、一緒に何かをつくるときだって難しいのに、俺単体で俺のやりたいこと、しかも言葉になってないやりたいことをなんかうまく届いて、え、いいね、それ、とか言って始まるのはさすがにちょっと、しかも大学生じゃないし現実的に厳しい気もするけど、やるしかないからやるけど、やりたいやりたいやろうやろう、って言って届くことでもないじゃん、実際それで人間関係なくしちゃったわけだし。
イ:もう、むずかしいよー

わかりやすい文章を書く必要はないと言うのは嘘

よく、「わかりやすい文章を書くことをこころがけよう」というものに対して、
「人を惹きつける文章は思ったように書いて個性をだすこと」とか言っちゃう人がぼちぼちいますが、嘘です。

社会性を持っている人の大言壮語です。

そして、自分が想定されなかった人間だからってその人たちをこれ以上悪く言うのもやめましょう。
自身を社会人だと思っている人が自身と同じような人を社会人として対象にするのは一般的なことです。

僕がどんなに「ううういやだよぉ」とか「生きづらくてしょうがないよぉぉ」と嘆こうがクソくらえですし、僕も僕が結構嫌いです。

たくさん書くことが練習になるのは一理ありますが、ぼっちを決め込んでいては添削もされず、埋もれていく一方です。
どんなに孤高の天才だろうが、ガウディだって建築してくれる人たちがいたからここまで来てるんです。
どんなに孤高の天才だろうが、映画も演劇も一人ではつくれません。複雑な仕事だって一人ではできません。

そして、話し言葉で文章を書かれたときの距離感のウザさもハンパない。

僕はいっそ論文を読む方が好きですが、結局論文的な文体を自然と生み出すこともできず、僕の言葉はこのようにまどろっこしく面倒くさく読みづらいものとなるのです。

なので、わかりやすい文章を書く必要はないと言うのは嘘です。

選択肢としては、わかりやすい人間に変化するか、精神を構造分析しちゃって余白をなくしてゆくか、書くことは選択し書ききれないことは別の表現方法でおこなう、という3つでしょうか。

となると、3番目が一番現実的なので、書ききれないことは書かないと割り切り、書ききれないことは別の方法をしっかり探す必要が出てきます。

これは東浩紀氏の小説の方が思想を説明する本よりもわかりやすく面白く一般にも届きやすいみたいな現象に近いかなと勝手に思っています。

なので、せっかくこれから文章以外のツールも注目されていることですし、複合的な表現方法を目指していきましょう。
そういう意味では、SNSよりは自身のテリトリー範囲でしっかり表現しておいて、ちょこちょこソーシャルに顔を出すぐらいの方が健全な気もします。
写真だからって全部Instagramに投下されてもってなっちゃうし、Instagramも本当は何かのテーマに沿っている特化型のアカウントの方がモテる。
複合的でいられて、自己主張強すぎない雰囲気のSNSの登場にはもう少し通信速度や通信量が上がった近未来までかかりそうです。

とはいえ、受け手の人の感じ方は大事だと思っています。
発信者ができることは意見の押し付けではなく、主張だっていうところの境目があまりに紙一重で、自分自身も冷静になると反省することが続きます。

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