東京巡礼、応答。

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17日から24日、東京に滞在しました。(22日現在なので、滞在しています。)

東京のことと、明日からの所属の前に言葉で纏める必要が出てきました。

参考記事:正式な「所属」を持つことへ慎重になる思いとは。

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人に会い、人に会い、人に会う様を「巡礼」と呼ぶ

3月ぶりの東京。
明日から所属する劇団の東京公演のスタッフとして乗り込みました。
劇団のことは、明日の所属以降に纏めます。

僕は、かつかつなスケジュールの中に、人と会う約束を詰め込んだ。
会えなかった人もいれば、僕のミスで会えずに迷惑をかけた人もいれば、思いがけず会えた人や、あと月曜までの時間で会う人もいる。

僕は、人を聖地のように巡り、高揚し、願いを口にする。
僕は神様からの祝福などの見返りさえ期待しない、むしろ不安を抱えながらの「巡礼」をした。

東京にいる人のあいだに自分が「存在」している

僕は、別段に土地の記憶など感じない。
こまばアゴラ劇場に入り、「この場所は十年前と同じ恰好をしていること」を思い出す。

参考:しゃくなげを喰らうの

思い出すのは、僕自身だけの記憶ではなく、秋葉原についての逡巡を表情に出していた彼のことだったり、研究室のソファで自身の恋愛について打ち明けてくれた彼女のことだったり、カフェで僕が言ったひどいことに落ち込む彼のことだったり、青色のことだ。

僕は人に会う。

感謝を告げ、高揚し、少し言葉や感情表現が過多になり、帰りの電車で落ち着き、一切変わらない、祝福など降ってこない、生活の姿に呆れ、生きてきてよかったことがうれしく、たのしく、くやしくて泣く。

幕の裏で、音について気を張っている僕は、音も立てず泣く。

「僕が君を殺した」のかもしれない、と考えすぎる

僕が「異常」を持つことは、東京から離れたことに関係している。

参考記事:ストーカー加害者にならないために健全な人間関係を築くかるべ

僕は常より、僕と関係のないことと僕に関係することを区分けできない。その意味で「嗅覚異常」だ。

「君」がある人の死に思考を占領されるとき、「僕が君を殺した」のかもしれない、と考えている。

答えのないことについて、少しずつ身体に染み渡ってきた僕はこのことについて、ずっと考え続けることに気がつく。

密やかな幸せと応答

人と会う。

人も、僕が人に会うように、人と会うのだろう。
侑子さんの言葉が僕のなかで、ふっと思い出される。
人は人との出会いによって変化する。

僕は、自分の願いを口にする (あるいは見せる) 。

大袈裟なのはわかるのだが、それくらいに生きていること、それ自体を感じざるを得ない。

答えのない、必要な対立を続ける、経済と向き合い続ける、この生を 人の生を それでも僕は祝福しつづける。

祝福は言葉にならない。
だって、僕と会う人たちは僕を発見していて、僕はどんなに頑張っても、応答と応援のメッセージしか体現できない。できなかったら、東京に来てよかったことが染みすぎて、今の自分は東京に長くはとても住めないと衝撃を喰らった。

あぁまた会いたい。
約束なんてせずに人と会いたい。

ありがとう、また会える。

そんな、かるべの話でした。

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