(すぐに us )生活(を忘れる)(簡単なルーティン化)/アーティストの時間(が足りない)/違和感

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たくさんの肯定があって、それら一つ一つが人を表する名称のようです。

その一つを拠り所に、群/共生するエリアがあって、
(ともすれば三次元の方が四次元・五次元みたいに)
類とかになって、そんな福祉と芸術の家が問題屋さんにラインナップされている
とか思っていて、立ち寄って、そこが長かったんだけど、
少し長崎に赴いて、僕はやはり立ち返るのはいつでも、圧倒される僕という球体さ加減です。

かみくだいてこれ。

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ぐからちゅうの線

僕がそれ遊びじゃないをこれなのはかく。

僕を説明するとき、たくさんの“マイノリティ”の言葉がある。
(誰でも本来そうなのだが。)

先日、「もう帰る」と怒って言われたとき、
(あぁそうか、帰りたくなっちゃったんだ、残念だけどしょうがないよな……)と考えて了承すれば、
あとで、止めて欲しかったに決まってるじゃん、と教えられました。

僕が言いたいのは、僕がその“裏”を言われるまで気付かなかった部分を、ただの発達障害という言葉では説明しきれてなくて、そもそも僕が言いたいことはセサミストリートが言ってる。

僕に限ったことではない。
肯定の名称があって、安心を得られたら、次の安心は群/共生の安心が欲しい。ただそうは進めない。それもこの個と群/共に無理に分別すればそう。答えがなきゃ不安なのはよく知っていて、そも不安と安心の話に行き着くと思うのだ。

不安にさせる事物を忘れちゃう。
それは、気が付けばいつの間にか世界が学校ではなくなっていたからだ。

定型文論文

何かを某かを理解へ進めるとき、言語とかになる。独特なSVOOで試みる。それがそう。
だから、それを異と呼んで、言葉の話になる。共通言語は子供たちが独占していた頃だった。私とかそれとか、多くなる日本の言語で、僕はこっそりとそれを自分たちを称する人たちと大切に、ごそごそ、僕たちのよく知っている生き方がそれだった。

異と同の間などと言う人が三次元の事を傲るのを見ては、それを知って、何度も学校を探している。

何を言ってるかわからない事や、言ってもわからない事が、面と向かって伝えられる事がこの上なく現実的な社会的? むしろいやどうでも、障壁はそのエリアを囲っている。
それでもよいのだ。自由とか決定がいつ世界になったかなんてわからなくて、(アクセスが欲しくなったら筆舌に尽くせぬ右手の中指と薬指が骨で合流する地点が摩擦するのが気になってしまうのを世界とか性感帯にする)僕が携えるのは僕が携えるのだから、まるでサラケインと同じ人間だと思ったり思わなかったり、だから問題なのは恒久性とかじゃないんだよ僕の不在こそが問題なんだ。

かつていた。

あとは、いた場所といた経験のない場所を、識別する。

そして今の渦状な内分の神経が話に出せる。

私のなかに渦がある

僕がていていと並ぶ夕闇に眩むやさしい歌を日常的にくちずさむ度、芸術は死ぬ。それを見ている。

言葉はやっぱり、僕には到底手に負えないガラパゴスの管理のようで、うじゃうじゃと、うしゃしゃと、そろそろと、走り去っていく。それを見ている。

幸せはいつも不安になる。それは知っていた。でも見ている(誰かしか)。

守りたい自分なんて疑問で、それ、そうじゃない、
積雪が、あって、
雪には絶対的な良い悪いがある事を、どこかで認めない遠回しな言い方だったように踏めば靴を沁みて耐熱の悲しい強さが言う。それが聞こえる。

僕の温度が僕だけの温度ではなくなって、
皆が「季節」と、言い回すことを知った。

今朝の先生の話では、大切な話で、知らない話を聞いた。

わからないことを褒めてくれると、余計にわからなくなる。
それでもどうやら僕は、わからない人をわからないことをわからないならわからないのはわからないねわからないよわからないのは、やっぱりわからないよ。

私のなかには獰猛な渦があって、
水と空気の切れ間に一つ一つ全部、よく思い出せない幼稚園の頃の友達とかがいて、
私はそれを見ているあいだ、やっぱりわからなくなる
ことはなく、わからないふりをしている。

幸せはいつも安心する。それも知っていた。だから僕はゆっくりと生きている。それを見ている。

終わる日

あぁ、ずいぶんと。

それでも某か見えないことは、忌まない。
留まらないのだから。

そんなかるべの話でした。

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