僕がSNSを続ける理由

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なにもSNS離れとか、そういう時流の話をするわけではなくて、僕個人がSNSを続ける理由が明確になってきたので、少し書いてみようと思っただけなのです。

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SNSが音信不通を防ぐ

ゲイなので、友達と思っていた人がよく音信不通になります。

「ゲイなので」という部分が何を意味するかが重要なんですが、
人間関係が希薄になりやすい、ということは多分誰でも経験で少なからず感じているのだと思います。

しかし、SNSで音信不通を防ぐなんて、当たり前でありきたりな感想だけど。

「ゲイなので」を説明してみようと思います。

「ゲイなので」よく音信不通になる、とは

(全体を見た気になったり、論者になってはいけない。僕は自分の気持ちを吐露しているだけ。)

僕がオープンなので、高校の同級生や大学やら色々な人から、
どうやって同じようなゲイの人と知り合うの? とよく質問されてきました。

僕はそのとき、少し答えるのを逡巡します。
相手が「出会い系」についての倫理観がどのようなものか知ってから答えないとな、と考えて。

人と知り合うためには、ツール/コミュニティ/イベントを利用しないとならない。

「ゲイなので」そういう真実があります。

僕はそれらのいい面を享受しているし、悪い面も被ります。大抵の物事や真実とそういう意味では違いがありません。

「音信不通」は、端的には、やはりその悪い面の一つだと思います。

「音信不通」

相手が今、何をして生きているのか、果たして生きているのか。

それがわからない状態を指すようにも思える。
なるほど、確かにSNSをすることはそれを防いで、生存を報告することになりそうだ。

でも僕はよくわからなくなるポイントがある。
SNSなどで、相手が今、何をして生きているのか、果たして生きているのかなんてうまく感じられないのだ。

(対面だからわかる、とかでもない。)
結局、本質的に、僕と相手の「音信」が「通っている」状態を見極めることがもっぱら以下の話題だ。

「音信」は一つの信頼の形式

僕には「音信不通」の親友がいる。
高校の同級生だが、そもそもその人は連絡無精なのだ。

6年と会っていないし、何をして生きているのかもわからない。
でも調べれば(労力はかかるが)わかるし、僕は自分がタイムリミットを知るような機会があれば必ず会いに行く心づもりだ。

ただ現在は「音信不通」である。

反対に、その相手は僕にはそうそうは連絡を取らないだろうし、冠婚葬祭の出来事が起きても多分、僕には報せが来ないなと思う。

それでも、ここには信頼のようなものがある。
「音信」という形式でないだけだと感じている。
「音信」というのは一つの信頼を表す形式の一つであって、僕とその親友には大してそぐわなかっただけ。

参考:『学校』

「音信」を取る仲

「音信」を取る仲とはなんだろう。

僕にはそれが、「ニュース」だと感じる。

感情移入しすぎないように調節しなければならない努力と、無関心になりすぎないための人らしさの砦になる性質。

世の中の、(僕には最後の極論だったが)全て答えのないバランス、というのを実践するかのような(僕には極論だからあまりバランスでもなかったが、だからこそ)共感と無関心のその両極端をSNSが僕に日々突きつけるのだ。

そんな人間関係に僕は「信頼」を覚えてしまう。

「信頼」

SNSが信頼になるという話の流れです。

僕は、だからしち面倒くさい人の表面をしばらく長く享受するのは、何かとても大切にしたい。

そんなかるべの話でした。

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