幸せな結婚の10の法則とか考えて整理したものを読んでもらってもどうせつまらないから、ただ考えてみた。

シェア?

image

始めた当初の記事の迷い加減を好いてもらったこともあります。

ここでSEOについて言うつもりはありませんが、結局切実なことしか続かないし書けないという点では、不労所得で生きていくこともまた自分には向いてないのでしょう。

僕は、現代人と同様にすぐ検索をしてしまいます。
なんでもかんでも検索しますが、自分が思うことは大抵誰かしかが話題にしていることが多いです。

JRが開始した当初の時刻表を古本で相手が買ってきて、30年前と今にあまり時代の違いを感じられないことを思って話題に出してみたりして。その時代を検索すれば、京葉線のない時代のディズニーの思い出などが掲示板で書かれていたことが引っ掛かったりしました。

検索や、それにまつわる知的好奇心とか、自分の読みたい意見を見つけたいだけとか、そういった研究は熱心に既に進んでいて、大して目新しくないのですが、検索で記事が引っ掛からなかったことはよく「それこそが書く価値がある」と言われます。しかし、最近僕が明らかになってきたと指すのは難しいものは一代の間に意味を感ぜられることはないことです。それらはすべて噛み砕かれる。

スポンサーリンク

結婚について考えることと同じ

幸せな結婚について、考えることがあります。ひとえに恋愛でつらそうな人の表情や声や言葉に触れると、「望むものに近付く」行為や状態は死なないために必要だと感じて。それで久しぶりに恋愛マスターぶってみようか、と思ったのです。

ですが、最近同時に言うほど誰も恋愛のアドバイスなんて要らないのな と感じまして、というのも僕みたいに恋愛至上主義で生きている人もいないと指摘されたこともあって。

電車移動の時間を重ねて、少しこうして記事を書いて、簡易的に整理をしていました。

自分にとって何が大事かわかる/わからない

無意味主義の人に勝ちに行く必要はありません。そういうことは研究者の著書・論文が達成しています。

そして、無言の者の悪意に冒される必要や義務はありません。今ここに深く横たわるのは、私たちではない自分の土壌と住み処。空中都市と言えど、そこにある鉱物は自分を反重力することを、皮膚に侵入させなければならない。

僕に緩やかに侵入する、ボールペンの青色を、視た時が、私たちを演劇させる。
それだけを信じている。

自分というモノは、哲学が純にさせる幻ではあり得ないと感覚が言うのだが、いつも根本があるのは、思索の前提が、そこに潜ませられるからだ。
なぜ、一致は前提になるのだ? その鉱物とその鉱物の配列は一致するのだろうか? 私たちの共有といえば化学式だけかのようだが、私たちには時間と空間がある(厳密には時間は共有されない)。(時間と空間が分離できないから、私たちは共通の「学科」を探したのだ)

さて、自分。

自分について、わかる/わからないから行動は消えていく。

子供は、それを疑問に思う。白と黒の世界を破られると、包まれてしまう。僕は、飴玉の唄を聴く。
私に与えられた神は、偶々、五感を支配するのだ。

最近知った言葉 HSP

HSPについてこのページは解説しない。僕は基本的に専門は恋愛くらいで、他のことに正しさを保証できない。

恋愛は簡単だ。「相手」の「幸せ」とは何かを考える作業だからだ。
なぜだか、多くの人は「相手」の「幸せ」を実現することについて、葛藤を抱える。だから簡単に恋愛マスターが発生する。論理的矛盾を排斥しただけで、ぶれるのだ。恋愛マスターぶれるのだ。

私たちが観察するのは、心理学のそれと同じで大丈夫。
解明された人の所作だ。詩歌や哲学家の求める地点より遥か彼方にいる。

あなたは、私の視線を、聴覚の選択を、風の皮膚を追うだけで、人生の糧を入手できる。

しかし、「私」は鈍感だ。最初から、恐怖を持ち合わせなかったかのようだ。
恐怖を子供たちに、教えたくない。

無意味、無為

僕は、無意味を知っている。
だけど、無為について、説明をすることができない。それは手にでき/ならないからだ。
実感と記憶を信じないのは、論拠と神が両立するからだ。いや、神なんてそれは言わない。それは非無為だ。

無為は生きることだが、無意味は生死についての言葉ではない。私たちはしばしば無意味論者になる。そういう性的なプレイだ。

社会正義の実現

社会悪がある。

問題はここだけになる。人は五感で人だと理解ることについてだ。
だから、言葉はもっぱら問い掛けるためにもたらされる。未だに子供と大人は証明の可否に単位を付けている。
侵入は明かされたのに、私たちの暗黙は尊厳の法的な範囲に留められた。

だが、生きている間の総てが現場なら、僕は思っていることを言えればもっぱらやはり良くなってしまう。

人間をやめるには簡単だ。言わなければいい。言わないことは人間が人間に願った賜物だから、人間は非関係を彩ってきた。
だから、恋愛マスターは言えばいい。言わない人の笑顔が、福祉的に批判の学科にならないのは、私たちの建設物:人だ。その、漫画はいつも寄り添うの。
解明をすることができそうな(この)世界のこと。僕は生きている間はまだ、いつも君の予想外で居られそうだ。

予想が更新されるのは、あと2世代くらい先で、その時の哲学は知っている。私たちが再現される次の日の経済への黒石有利について、次の無為が私たちを呼んでいる。
この聴覚の選択が、そう、一度きりのアナウンスに殺されている。

僕はここの後で待っていた。
この未来主義の似非科学と今ココの疑似アートが、僕を侵入させてくれた。
青を青たらしめる瞬間に、その遺影を再生される。

そんな、かるべの話でした。

スポンサーリンク

シェア?

フォロー?

質問や疑問は「お問い合わせ」よりご気軽にラフに肩の力を抜いてどうぞ。
かるべと「なにかしたい/したくない」などのコンタクトは[ウキボリ] をご利用ください。

コメントします?

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です