実名がリスクなのではない。言動にリスクがある。

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最初は、「実名のリスク」について簡単にまとめようと考えていました。

ですが考えていくと結果、「実名」にリスクがあるのではなく、私たちが個々人で持つ哲学や生活、使用するサービスや経歴や些細な日常まで、そういう広い意味での個人情報・狭い意味での個人情報にリスクがあるのだと思い至りました。

反対に、やっと「匿名」という言葉の意味もわかった気がします。

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「リスク」は信頼関係の構築されていないところからやってくる

誰でも、信頼している人にしか与えない情報があります。

こうして、実名の僕が自分の考えていること、創作したものを置いているのは、インターネットをそれらの情報と同等の量的な信頼をしているからだとも言えます。

だから反対に、考えていること以外の情報はあまり載せませんし、創作物もすべからく載せているわけではありません。

とはいえ、信頼は一方的なものです。インターネットですから。

現に、信頼していない人(例えば初対面の人)に僕の考えていることを無条件で喋るということはなかなかありません。とはいえ、僕はすぐ信頼してしまうのですが。

大事なのは、僕は僕の思考を常に抱えていて、その思考の内容自体がリスクだということです。

クラスで浮いてしまうかもしれない。

そういう単純な出来事の、規模が大きいバージョンという感じでしょうか。

でも、クラスで浮いてもいいんじゃないかな? やり方次第、信頼関係次第で少し楽しく時間を過ごせるかも、クラスを楽しませられるかも。

これがリターンでしょうか。

社会をクラスのような「顔の見える」距離感で捉えているところに、思考は溢れてしまっている。

つまり「顔の見える」人に話す内容と同じことしかインターネットでも言っていない

インターネットが特別にパブリックなわけではなくて、人前は総てパブリックな場だと思います。

もちろん、言動についてのみの視点ですが。セキュリティや技術の話は別です。

でも、例えば人前でパターンロックを解除してはいけないように。

インターネットが悪意に満ちてるのも当たり前ですが、クラスに悪意が満ちてるのも歴史上よくある出来事です。

だから同様に、二十五年間かけて許していくのが僕です。

何も話さなくてもよかったのかもしれませんが、僕がどんな人なのかはどっちみち生きていたら重要になります。

大した偉業も、気の利いた知識も、わかりやすい人格もありませんが、それが必要なセーフティネットだと、でありたいと思う面が、あるようなないような。

大したことを言っていない顔の見える人は、クラスによく居たように。顔の知らない人もクラスが多くなれば普通に居たように。

わかりにくいことは忌避されるけど、わかりにくくていいと思う。わかりにくい人しかいないし。忌避されないクラスにしていきたい。

あと、きっと何か問題が起きてからでも遅くないです。
いや、問題が起きてからでは遅いのかもしれませんが、
命が続く限りはもう少し前向きで居ようと思ったのです。

生きていれば素敵な瞬間も訪れるのだと、知ってしまったのだし、「実名」が背負っていく記号の情報だとあんまりに解読できない僕ですし、
「実名」に優しい気持ちを公に添えるためにも、やはり思考を乗っけていきたいところです。

これでいて、文章の僕と会ってみての僕の印象は違うようだ。

詩人としての名刺をつくっていただいたので、近々その辺もまとめようと思います。

そんな、かるべの話でした。

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