多様性を育むくせに、新卒採用制度はオワコンにならない

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<きっかけ>

関連:LGBT法連合会

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僕のもやもや

・とっとと法整備されてしまえ。日本遅い。
・切実な思いを抱いているのは(実際の被害をくらっていない人も実際に大変だった人も含めて)被害者意識が高い人。
・多様性を謳うのはやめようよ。

LGBT差別禁止法案という発想がいささかずれている

差別禁止、おおいに結構だし、別に僕はいいのだ。生きやすくなるし。現実的な被害に対しては直ちに策を講じるべきだとも思っている。
障害者差別解消法のことを思い起こしたりするけれど。

唯一無二の命題が沸き起こる。「僕は被害者だったろうか?」

僕はあまり差別というものを幸いにも感じてこなかった。
他人から嫌なことを言われれば怒った。
高校生までは同級生とケンカをすることだってあったし、部屋に男性アイドルのポスターを貼っていたし、嵐の大野くんの個展に始発で頑張って整理券に並んだりしていた。
なんだかんだ味方がいたのだな、と思う。

当時、僕は自分の違和感の原因が自分の性的指向にあると勘違いしていたので、
セクシュアルマイノリティの権利擁護系のことにも赴くことが多かった。
でも馴染めなかった。

今ならわかるのだけど、一般的には 言いたいことも言えないこんな世の中 なのだ。
僕みたいに、ゲイであることを悪く言われたら怒ったり、女子の列の中に男子一人で並んだり、好きな男性芸能人が出てるテレビを家族とはしゃぐような人は一般的でないのだ。

そこで、僕は命題に対して「僕は被害者ではなかった」と答える。

するとLGBT差別禁止法案のなぜか当事者の一人に括られた僕が違和感を覚える。法律と自分に距離を感じる。これは「普通に憧れている性的少数の方が頑張っていること」なのだと。

注意しなければいけないのは、「普通に憧れる」ことはとても大切で尊重されるべきだと僕も考えていることだ。
普通は尊い。でも同時に「社会へのバリアーを抱えている」と認めることになる。(もちろんバリアーは解消されるべきだと僕は思っている)
僕は、LGBTコミュニティとの意識の違いからまた遅れをとり、違和感や排除の感を否めなくなってしまうのだ。

「当事者」と「非当事者」の線引きについて議論をしておきたいのに

たとえば、同性婚の話もタイムリーだ。
これに関しては僕は「当事者」だし、界隈にいる“2丁目とか怖くていけない草食メガネゲイたち”もあやかれるかも…とか思っている。

対して、先の差別禁止法案については、僕は概ね「非当事者」だ。
そして、問題なのは「当事者」と「非当事者」の対話はまず現実的必要性が薄くて生まれないことだ。

加えて、このことを問題に感じることが問題だ。

僕は多様性というものに疲れた

ことさらに多様性が謳われる。セクシュアルマイノリティの権利の枕詞に今も継続しているのか?

「普通に憧れる」ことと「多様性を謳う」ことを両立する気がないのなら直ちにやめるべきだ。
僕が苦しいのだ。

セクシュアルマイノリティでも普通に権利を主張したい、というのと
いろんな生き方があっていい多様性の未来、というのは別の文脈だ。

そして多様性なんてクソくらえの社会システムなのだから、社会システムに順応している人たちが運営するそれらはいずれも僕を包括できない。

大事なのは、「多様性」と「食べていくための我慢」が折り合うための対話だ。
いくらなんと言おうと折り合えている人に僕は嫉妬を禁じ得ない。そして、この気持ちは存在しないことが望まれている。
僕が普通に憧れることはセクシュアルマイノリティの権利擁護の文脈では本筋と違うためちょっと邪魔になる。

「多様性」という言葉の揚げ足を取る僕、という構図になる。
そして上手に隠される。

上手に目をそらさなければ変革は起きない

何を批判しているのかがわかりづらいので、明記すると
・多様性を謳うこと
・僕の違和感の本性
の2点だけ。

目をそらしている人に、目をそらすな、と言ってはいけない。
問題は痛いほどそれを知っているのに、押し殺すことのできない僕の本性だ。
共存の道は険しい。

祈ろう。

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